한국 사람에게 있어 일본은 특별한 나라라고 생각하는 사람들이 많다. 일본사람은 특별한 외국인으로 인식하는 경향이 있다. 지리적으로 너무나 가깝고 얼굴이 너무 비슷하기 때문이다. 또한 역사적으로 갈등이 많았고, 지금도 그 문제가 해결되지 않았다. 역사나 독도 문제를 말하면 끝이 없다. 다른 외국인 몽골, 베트남, 중국, 러시아, 캄보디아, 네팔 등에서 온 사람들과 일본인을 보는 한국 사람의 마음이 약간 다름을 느낀다. 그 심리적인 분석을 다룬 문헌이 많기 때문에 여기서는 말하지 않고 참고하시기 바란다.
나는 한국 사람들이 우리 일본인에게 엄청난 관심을 가지고 있다는 느낌을 느끼고, 주변 사람들에게 말을 듣는다. 지금까지 한국 사람에게 가장 많은 질문을 받은 말은 어떤 것인가를 같은 일본인 친구들에게 물었다. 일본인뿐만 아니라 외국인들이 공동적으로 받는 질문이 있다.
“한국 살기 어때?” “김치 같은 매운 것 먹을 수 있어?” “엄마 보고 싶지 않아?” “신랑이 잘 해줘?” “한국말 어렵지 않아?”
이렇게 물어봐주는 한국 사람이 대부분 정이 깊고 마음이 따뜻한 분들이다. 외국인에게 관심이 있어서 해주는 말이기 때문이다. 그러나 만나는 사람마다 똑같이 묻기 때문에 가끔 귀찮고 지겨울 때도 있다. 그러나 이런 말은 한국인들의 관심이기 때문에 즐거울 때가 더 많다. 한국인들이 일본인 우리에게 묻는 일본인 전용질문이 있다.
“일본의 목욕탕이 남녀의 구별이 없다는 것이 진짜?” → “혼탕도 있지만 대부분이 남녀 따로따로 들어간다”
“일본은 성적으로 음란한 나라이라는 것이 진짜?” → “출판물이나 TV가 한국에 비해서 규제가 약하다. 일반사람의 의식은 큰 차이가 없다. 불륜도 이혼도 하지 말아야 한다고 생각하는 보수적인 사람이 많다”
“일본사람이 완전한 개인주의라고 하는데 진짜?” → “그런 사람도 있지만 효자도 많다. 한국에서도 요즈음 제멋대로 사는 사람도 많은데……”
“일본 사람이 독도를 자기 땅이라고 생각해?” → “독도가 어디에 있는지, 독도문제가 무엇인지 모르는 일본사람이 더 많아”
“축구 한·일전 할 때 어느 편이야?” → “우리 집 TV 없어!”
“한국과 일본이 어느 쪽이 좋은 나라야?” → “내 마음이지 뭐!”
위 질문에 나는 아래와 같이 마음속으로 생각을 하고 말을 한다. 내가 한 대답이 틀릴 수도 있지만, 그래도 나는 질문에 열심히 대답해 왔다. 궁금한 마음을 가진 한국 사람이 얼마나 많았을 것인지. 정말 대단한 관심이다.
한류의 영향 때문에 여행뿐만 아니라 한국에 유학하는 일본학생도 상당히 많아졌다. 휴가를 이용해서 도쿄 디즈니랜드 갔다는 한국 사람도 흔해졌다. 한·일 양국간을 왕래하는 사람들의 수가 앞으로 더 증가할 것이다.
일본사람 이미지 속에 있는 한국 사람도 현실적이지 않다. 10년전 까지는 한국 사람이라고 하면 키가 크고, 목소리도 크고, 잘 싸우고, 김치 냄새 풍기는 이미지였던 것 같다. 그리고 노래 잘한다는 이미지도 있었던 것 같다. 그런데 한류 때문에 한국남자 이미지가 바꿨다. 키가 크고, 날씬하고, 그렇게 헌신적이고, 선물 많이 주고, 말 잘한다고 한다. 내가 볼 때 10년 전 이미지도 한류 후의 이미지도 두개 다 환상이다. 한국 사람이 일본에 가진 이미지랑 똑같다.
나라의 정책이 국민의 마음을 대신하는 것이 아니기 때문에 항상 오해를 받지만, 일본사람은 한국사람에게 대부분 호의적이다.
제발 부탁이다. 일본사람을 무서워하지도 말고, 경계심을 풀고, 일본사람을 대해주면 좋겠다. 내가 맞고 당신은 그르다와 같은 흑백논리를 확실하게 결정하기 위해 관계를 가지는 것이 아니라, 서로 간의 관계를 통해 새로운 무엇인가를 도출할 수 있으면 한다. 무시하고 마음을 닫은 채 상대를 대할 때 나오는 것은 아무것도 없다.
세상에서 가장 무섭고, 생명력을 뺏어가는 것이 바로 무시이자, 무관심이다. 많은 한국 사람들은 항상 다른 사람에게 많은 관심을 가지고 있다. (특히 우리 남편은 한국 사람들 중에서도 더 많이 타인에게 관심을 가지고 있다.) 나는 이것이야 말로 바로 한국이라는 나라가 가지고 있는 힘이라 생각한다. 한국인들은 궁금하면 가만히 있지 못하는 것 같다. 그래서 나는 그런 한국인을 좋아하고, 한국생활이 즐겁다.
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中村 惠実子
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나카무라 에미코(中村 惠実子) 씨는 일본어 강사와 통·번역 코디네이터 역할을 하며, 고창읍에 살고 있다.
※다음은 이 글의 일본어 원본입니다.
私は韓国人と結婚して韓国での暮らしが12年になった日本人だ。夫や義母が良い人だったおかげで私の韓国生活、特に大変なことも無かった。いや、無かったというより忘れてしまった。当然夫婦げんかもしたし、夫の家族がらみのことで腹が立つことも一度や二度ではなかったはずだ。だけどそれは私が外国人だから大変なのではなくて、結婚すればそのくらいのことは起るだろうくらいのことだった。もし私が日本で結婚していても同じだったと思う。友だちとおしゃべりしたら解消して越えていけるくらいのことが大部分だった。女は毎日家事だのなんだので忙しい。過ぎたことをいちいち覚えて後悔している暇もないんである。
子供は息子が二人に娘が一人。みんな健康で明るくて社交的である。言葉は韓国に住んでいるので母国語としては韓国語を使っている。彼らは日本語も使う。日常会話だけならかなり達者である。日本語の読み書きはあまりうまくない。私が大学で日本語の講師をしていた時、日本に好意的な韓国人と沢山お会いした。韓国人の友だちもできて私の韓国生活はかなり楽しいものだった。しかし私が韓国でこんなに沢山の人とお付きあいできるのは、私があまり自分というものを隠さないからではないかと思っている。
韓国人と話をしていて、日本人は怒っていても顔は笑っているんだろうとか腹のなかでは何考えているか分からないとかいうことをいわれたことがある。そういう話を信じている韓国人は多い。私にとっては笑っちゃうような話だ。日本人も同じ人間である。怒るときは怒る。ただ日本人というのは怒っちゃいけないという自制心が韓国人より強い。その代わり爆発したときはまるで火山のように噴き出す可能性がある。そしてもう取り返しがつかない。どっちにしても日本人だからどうだという話は私にはナンセンスに思える。
私は日本にいたとき、「えみこは日本人じゃないみたいだ。」と良く言われた。わたしは背が高い。170センチという身長は日本人の女性としてはかなり大きい方だ。見た目だけじゃなくて性格も日本人らしくないと言われたものだった。この「日本人らしくない」というのは日本の、しかも私のような地方在住者には誉め言葉であるとは思えない。場を読まない。立場を考えない。和を乱すということをやんわり諫めているのだ。
私は言いたいことはかなりはっきり言ってきたと思う。当時は責任のない未婚のお嬢さんだったのでもっとそうだったのだろう。
日本では社会的な調和を韓国よりもずっと重要視する。ゆえにその場の雰囲気を把握して言葉を慎重に選らばなければならない。それがまさに日本の社会であり雰囲気だ。だけど私にはそれがしんどかった。なぜ言いたいことを言ってはいけないのか。人にどう見られようが、結果的にそれが良い方向に流れていくならそれでいいではないか。言いたいことを言うということはいっそいいことなのではないか。人の目を気にして生きる社会は気詰りだ。
そういう個人的な理由もあって、私はかえって韓国のほうが楽に生きているようだ。当然韓国での社会的な約束ごとというのはある。しかしそれは日本の社会的な決まりごとの基準とは少し違う。韓国で守って気にするべきことはその場にいらっしゃる目上の方の心だ。会社のようなところでは社長とか上司に当たるだろう。それが分かるようになるまでだいぶ失敗を積んだ。しかし韓国で言葉に関する失敗をしたとしても喧嘩したとしても、ある程度時間が過ぎると人はお互いに許し始める場合が多い。忘れてしまうことも多い。こういう部分が日本とは違う。守るべきことはあったとしてもそこに人間的な感情を挟める余地において日本よりも余裕があるように見える。韓国人と結婚して韓国に住んでいる日本人の奥さんたちが集まって話をするとこういうことを良く聞く。「もう日本には住めないわね。」そういうことを言うのは、もともと日本人であってもやっぱり韓国向きの人が多いような気もするのだが。
韓国人にとって日本というのは実に特別な国だと思う。それゆえ日本人を特別な外国人だと認識する傾向があるように思う。地理的にあまりにも近く、顔もほとんど変わらない。また歴史的に多くの葛藤があり、現在でも未解決の問題が多い。歴史的問題、竹島問題を語り始めると終わらない。韓国人が他の外国人、たとえばモンゴルとかベトナムとか中国、ロシア、カンボジア、ネパールなどから来た人たちを見る目とはかなり違うように思う。その心理的分析に関しては他に文献が沢山あるので議論はそっちにまかせるとして関心のある人はそれをご覧になるといいと思う。あくまでも私がここで住んで、感じたことをベースに書いて行きたい。韓国人の日本人に体する並々ならぬ関心を感じ、そのときから私は周辺の韓国人たちの質問を気をつけて観察してみた。
今まで韓国人に一番聞かれた言葉ってなんだろうか、まわりの外国人にも聞いてみた。日本人だけじゃなくて外国人が共通して受ける質問というのがあるはずだ。
「韓国生活はどう?」
「キムチみたいな辛いもの食べられるの?」
「お母さんに会いたくない?」
「ご主人は良くしてくれる?」
「韓国語難しくない?」
こうやって問いかけてくれる韓国人というのは大部分がとても情の深い暖かい方たちである。外国人に関心があって書けてくれる言葉だ。しかし在韓一値を過ぎて会う人ごとにこれをやられると時々めんどくさくなるし嫌になるときがある。でもこれは韓国人の関心の表れなので、ありがたく嬉しく思う。
次は対日本人専門の質問だ。
「本当に日本ではお風呂屋さんが混浴なの?」
「いいえ!混浴もあるが、たいていは男女別々が当たり前。」ドラマ「アイリス」のせいで、日本の風呂は男女混浴という思い込みがさらに強くなってしまった。
「日本って性的に淫乱な奔放な国だっていうのはホント?」
「 出版物とかテレビの規制が韓国に比べて弱いのは確だろう。だけど一般人の意識としては韓国とそう変わらない。不倫も離婚もしてはいけないっていう保守的な人も日本には多い。」
「日本人って完全な個人主義利己主義だってのは本当?」
「そういう人もいるけど親孝行な人もたくさんいるよ。韓国だってこのごろ好き勝手に生きている人も多いみたいだし。」
「日本人は 竹島が日本の領土だって思ってるの?」
「どっちの領土かという問題以前に、竹島がどこだか知らない人や竹島問題が何なのか知らない日本人が実はすごく多い。」このことを韓国人は知らない。日本でも竹島問題を韓国と同じように扱っていると思っている。
「サッカーが韓日戦やったらどっちを応援するの?」
「うちはテレビない」
「韓国と日本どっちがいい国だと思う?」
「そんなの住んでる人の気持次第でしょ。」
上の質問に私は下カッコのような気持をもって答える。しかしそれを言うべきはどうかは相手をみて考慮している。
私が言っていることは間違った部分もあるかも知れない。だけど私は今までなにか聞かれたらそのつど一生懸命答えてきた。不思議だ不思議だとおもってモヤモヤしていた韓国人がどれだけ多かったのか、地下鉄の中、バスの中、道ばた、店先あちこちで私はいろんな人と話してきたように思う。韓国人は議論が好きだと思う。そして私も話すことが大好きだ。とにかくすごい関心を感じる。
韓流の影響で旅行だけじゃなくて韓国に留学する学生もすごく増えた。休暇を利用して東京ディズニーランドに遊びに行く韓国人はもう珍しくともなんともない。韓日間を往来する人の数はもっと増えるだろう。
日本人のイメージの中にある韓国人像も現実に根差したものではない。10年前までは韓国人というと背が高く声が大きく、喧嘩っぱやくてキムチの匂いがする人だった。だけど韓流の流行後はこのイメージが全く違ってしまった。すごいイケメンが韓国のどこにでもいると思ってるようだが、そんなはずないだろう。韓国現地在住の私にしてみたらどっちも現実とは掛け離れている。韓国人が日本人にもっているイメージとおなじだ。
国の政策が国民の気持ちを代弁するものではないため、常に誤解が生じるが、韓国人に対して大体の日本人は好意的である。日本人を恐れないで警戒を解いて日本人と付き合って欲しい。私が正しくてあんたは間違っているという決着をつけるために付き合うのではなくて、お互いに関わることから新しい何かを作れたらと思う。無視して心を閉ざしたままでは生まれるものは何もない。私が韓国生活で賢くなったことがたった一つでもあるとしたら、それは「無視するよりも喧嘩した方がマシ」ということが分かったことだ。一番恐ろしいのは自分の意識の中から相手の存在を消してしまうことである。
今の世の中、すっかり人心がすさんでしまったとは言われながらも
まだ韓国人はいつもいつも他人に関心を持っている。私はこれが韓国の持っている力の中で一番強いものの一つではないかと思う。良くも悪くも日本という国は他人との関わりを最小限にしてもなんとか生きていける国になってしまった。しかも日本には他人に干渉しないという関わり方を美徳と見るふしまである。発展という面から見るとそれはあまり良い方法ではない。
今日もどこかの韓国人が私に話しかけてきてくれる。だから私はいつも韓国生活が好きだし、この生活を楽しんでいるのだ。
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